「ビジネスに関わる行政法的事案」第3回:眺望の奪い合い〜同業者間の競合の場合

第3回:眺望の奪い合い〜同業者間の競合の場合 (レストランおよびマンション)        神山 智美(富山大学)

 

「眺望」や「景観」

筆者が、この連載をさせていただいているGBL研究会で最初に報告させていただいた事例が「風力発電」に関することでした。「風はだれのものか?」というのがサブテーマでした。風力利用、太陽光利用、太陽熱利用、地熱利用、温泉利用、地下水利用等、そこに留まらないものを利用する場合には、従来の土地利用計画および規制だけでは対応しきれないものがあると思って興味をもっています。これからは、空間利用計画が必要になるのではないかとも考える次第です。

眺望や景観についても、同様の意見をもっています。

今回と次回は、眺望(景観)に関するお話です。眺望と景観は、厳密には扱われ方が違うものですが(注1)、ここでは同義として用います。いずれも、特定の視点場から眺めることができる特定の視対象および眺望空間から構成される景観で、皆がそれを享受したがる「優れたもの」だと想定してください。そのため、眺望の奪い合いが生じます。

(注1)眺望権と景観権

「眺望権」とは、建物の所有者などが、そこからの風景等の眺望を他の建物などに妨害されることなく、これまで享受してきた一定の景色を眺望できる権利のことをいいます。「眺望」は、一般的に、遠くまで見渡せるということを指しますので、その点では、「景観」よりも広い範囲を指すといえます。しかし、眺望権は法律上に規定されている権利ではなく、裁判においてもほとんど認められていないのが現状です。

「景観権」とは、自然の景観や歴史的・文化的景観を享受する権利のことを指します。眺望権が建物などの特定地点からの眺めをいうのに対し、景観権は地域の街並みや自然の風景全体について地域住民が持つ権利とされています。

 

後から家を建てる場合は遠慮すべき?

(横浜地方裁判所小田原支部判決平成21年4月6日 判時2044号111頁)

はじめに、債権者(注2)の主張する眺望利益が認められた事例です。

神奈川県足柄下郡真鶴町に別荘を保有している大学教授が、隣人債務者により隣接土地に計画どおりに建物が建築されてしまえば、従前享有することができていた良好な眺望が失われることを理由に、建築の差止めを命ずる仮処分を求めました。その仮処分は認められました。その後、この差止めが命じられました。

(注2)債権者と原告

裁判において訴えを提起した当事者を「原告」といいますがこれは民事訴訟の場合であって(相手方を「被告」といいます。)、民事執行手続、督促手続や保全手続においては申立てを起こした側の当事者を「債権者」(相手方は「債務者」)といい、非訟事件や調停事件においては申立てを起こした側の当事者を「申立人」(相手方は「被申立人」)といいます。

別荘と、建築中の住宅の位置関係は上記の図のとおりです。

裁判所は、眺望利益を認めています。「一般に、ある一定の場所から見ることのできる周囲の景観、遠方の自然風物や人工物に対する見晴らしが、人に視覚上の美的満足や心理的な解放感などをもたらす作用を有する場合において、その場所を所有又は占有するなどして、その場所からの良好な眺望を享受している者は、良好な眺望の恵沢を享受する利益(以下「眺望利益」という。)を有し、その利益が違法に侵害された場合には、法律上の救済が与えられると解するのが相当である」と判断しています。

そのうえで、本件では、①少なくとも、建築の内容を確定する前に、債権者に対して、説明と協議の機会を持つことが強く求められていたこと、②債権者土地建物からの眺望をほぼ全部失わせる結果となることを当然予測しえたはずであること、③デザイン変更を強いられることには心理的抵抗があるでしょうが、東側斜面の樹木の管理を工夫すれば、相模湾を見晴らす良好な眺望は確保できると考えられるし、居宅としての用途面では重大な不都合が生じるとは考えにくいこと(※)、等から債権者の申立を認容しています。

ご近所トラブルですね。

(※)理由として「債権者土地と債務者土地の間には5ないし6メートルの高低差があるため、

債権者建物を改築して二階建てにするなどすれば、建物からの眺望の確保は一定程度図られる」と考えられています。

「別荘」vs.「住宅」

ただし、債務者の言い分としては、「別荘だから」というものがありました。長時間を過ごす場所ではないのだから、眺望を重視する必要はないのではというものです。

これに対し、裁判所は、生活の本拠では「債務者は、別荘としての一時的利用にとどまることを理由に、眺望の価値は低い旨主張する。なるほど利用時間の長短の点で生活の本拠とは異なるという指摘はもっともであるが、別荘として短期間の余暇を過ごす場所であればなおさら、その場所の眺望の価値は重要であるともいいうるのであるから、債務者の上記主張に直ちに与することはできない。」と判断しています。

この案件は、住宅の方が後から建築する場合でしたが、もしも同条件で眺望を取り合うような事態になったときに、「なおさら、」と判示されたように別荘側に有利に働くということがあるのでしょうか。別荘の眺望利益確保の必要というのは難しい問題であると筆者は考えています。

 

景勝地松島のレストランと隣地茶屋の建替え

(仙台高裁判決平成5年11月22日 判タ858号259頁)

次の事例は、特別名勝松島でレストラン等を営んでいる会社である債権者と、その隣地の茶屋を建替えようとした債務者の事案です。債権者は、建築工事続行禁止の仮処分の申請をして仮処分が認められたのですが、後に、債務者らが仮処分の異議等を申立てて、仮処分の取消申請をし、第一審は債務者の主張する取消等を認めました。控訴審も、第一審を支持しました。

裁判所は、レストランからの訴えに係り、眺望利益が侵害されるようになるのは「二階の一部と三階のごくわずかに止まり、かつ従来存した樹木による眺望阻害が若干拡張されたというに過ぎず、これによる眺望の変化自体は、果たして控訴会社金松堂の営業に顕著な影響を与えるものかどうか疑問であ」るとしました。続いて、「しかも、飲食店営業の主たる階を三階に移すような営業施設等の改善によって右眺望変化による影響を概ね回避することも十分可能であると認められる(控訴会社金松堂のような業種においては、右改善に伴う経費は、自由競争のもとでの営業環境の変化によるものとして、その負担を余儀なくされても不当とはいえないものとみるべきである。)。」と判示しています。

つまり、レストランも茶屋も、この松島の自然が与えてくれる眺望利益に関してはフリーライダーといえます。そのため、行政は、「公園利用者としての国民が享受する利益をその侵害に対して国民が個人として司法的救済を求めることができるような、右土地に対する権利として扱うべき法理上の必然性はな」いのです。債権者が、その眺望利益を利活用して収益できるのと同様に、債務者も、眺望利益を利活用して収益することが可能なのです。そのため、裁判所も「自由競争」という言葉を用いて、営業環境の変化には経営努力で対処するようにと判断しています。

裁判所のいう「眺望の利益」

この判決は、眺望の利益に対して以下のように言っています。

「眺望の利益は、観望地点と対象となる景観地点との間に眺望を妨げる障害物がないという空間的状態から生ずるにすぎないものである。そしてこのような利益を享受しているからといって、そのことから当然に観望地点の権利者に右両地点の間に存する土地を支配する権利が認められているものではない。右土地につき権限を有する者との間でその利用を制約することのできる契約関係があればともかく、これなくして当然に右空間的状態を変更するような利用を妨げる権利があるわけではなく、右土地の所有者、賃借人等その使用収益権者は、その所有権、賃借権等の権原に基づき自由に右土地を使用収益ができるものというべきであって、これによって他人の土地の眺望を阻害したとしても、それが全面的な阻害に及ぶような極端な場合を除き、右使用収益権者の有する権利の行使の結果にすぎないものというべきである。」

筆者としては、眺望利益を「空間的状態」と断じる裁判所の判断を支持したいと思います。

 

20階建てマンションの隣に24階建てマンション建設

(大阪地裁判決平成24年3月27日 判時2159号88頁)

最後の事例は、20階建てマンション敷地の隣地に被告が24階建てマンションを建設したことについての訴えです。原告らは、主位的には、眺望権または圧迫感を受けずに生活する権利を侵害されているとして、予備的には、被告には、原告らに対して眺望に関して説明する義務があったとして、損害賠償を求めました。

裁判所は、本件眺望には、法的な保護を必要とするまでの客観的に重要な価値を認めることはできず、本件の眺望利益は、法的保護に値するほど重要であったとはいえないとしています。そのため、原告らの眺望侵害を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求は斥けられ、原告らの請求はいずれも棄却されています。

裁判所のいう「都市景観」

原告は、「生駒山から昇る朝日」を景観利益の一つとしていますが、裁判所は、「一般的に、朝日が昇る場面に関する眺望が直ちに文化的・歴史的価値を有するに至っていることを認めるに足りない」として景観利益性を認めていません。

また、この判決では、裁判所は、都市景観を水辺景観と比較して、次のように言及しています。

「高層ビル群と水辺景観については、高層ビル群の光景を含む夜景等が良好な景観とされることは否定できないものの、それが都市景観である以上、都市の発展や衰退に伴って、当然に移ろいゆくものであるというべきであるし、都市景観を享受している者は、自らも都市の内部又はその周辺部に居住している以上、当然に周辺環境の変化を受け入れざるをえないというべきである。したがって、このような眺望は、自然物に係る眺望などとは異なり、その時々で、利益の享受者がたまたま享受できているにすぎないという一過性のものといわざるをえず、客観的な価値を有するに至っているとまではいえない。」としています。

筆者としては、「自然物に係る眺望などとは異なり」とされている部分が気になっています。自然物に係る眺望も、上記の国立公園内のレストランの事例のように、状況は変化していくため、自然景観の景観利益も、都市景観の景観利益も、特定の視点場から眺める場合には「一過性のもの」といえるのではないのだろうか、と思うからです。

同業者は「自由競争」なのか?!

このように見てきますと、裁判所は以下のように考えていると思われます。(景観保全に取組んでいる事例を除き)自然景観も都市景観も、住民は、景観(眺望)に関しては多くの場合はフリーライダーです。さらに、同業者として互いに眺望利益を収益に利用しているのであれば、こうした存在間の、眺望利益の奪い合いは、(眺望がすべて遮られてしまう場合や、事前説明などが全くなかったという極端な場合を除いて、)原則として「自由競争」と言わざるを得ないということでしょう。

以上