「ビジネスに関わる行政法的事案」第4回:眺望の奪い合い〜異同業者間では

第4回:眺望の奪い合い――異業種間では        神山 智美(富山大学)

原則として「自由競争」にまかせる

自然景観に対しても都市景観に対しても、住民は、景観(眺望)に関しては多くの場合はフリーライダーです。さらに、同業者として互いに眺望利益を収益に利用しているのであれば、こうした存在間の、眺望利益の奪い合いは、(眺望がすべて遮られてしまう場合や、事前説明などが全くなかったという極端な場合を除いて)原則として「自由競争」と言わざるを得ないということを前回お話しました。

法的保護に値する眺望利益とは

原則として」ということは、それには該当しない場合もある、ということです。

では、「自由競争」ではない、つまり、法的保護に値する眺望利益とは、どういうものでしょうか。前回ご紹介した「別荘からの眺望を遮る住宅建築が差止められた事例(横浜地小田原支部判平成21年4月6日判時2044号111頁)では、裁判所は、法的保護に値する眺望利益について、こうした眺望利益を有する者は、侵害の排除または損害賠償等により、法的な救済を受けることができること、また、第三者がこれを阻害する場合には違法となることがあることを判決文に明記しています。そして、「いかなる場合に眺望利益に対する侵害行為が違法の評価を受けることとなるかについては、被侵害利益である眺望利益の性質と内容、侵害行為の態様、程度、侵害の経過、当該眺望を成立させる地理的条件に関する地域環境等を総合的に考察して判断すべきである」と判示しています。これは、いわゆる総合考慮というものです。簡単ではないので諸般の事情を勘案して決めるということになるわけです。

つまり、眺望利益(あるいは景観利益)は、残念ながら、良い景観を見ることでどれだけの良い効果があるのか(良い人生を送れるのか)ということの実証ができているものではありません。「良い景観」というものの基準もなく、それが必須であるという認識もありません。そのため、訴訟においても相対的な総合考慮で判断されるのであり、原告と被告のいずれの主張が認めやすいかで判断されるという性質のものとなっています。

 

眺望利益(景観利益)の性質

では、こうした眺望利益とは、どういう法的性質をもっているのでしょうか。

万人が等しく平穏で健康、快適な生活を享受するべき生活上の利益である「生活利益」の中でも、騒音や空気汚染、日影などの問題は、人の健康を害し、平穏で安全な生活を脅かすという事態にもなり得るのに対し、良好な景観の恵沢は、日常生活に必要不可欠なものとはいえません

また、眺望利益は、その性質上、極めて状況依存的な利益といえます。というのも、眺望利益を享受する者は、対象となる景観、自然風物、人工物などに対する直接の管理権、所有権を有しないことを通常とするため、それらの対象が物理的に変化することを止める権利を当然に有するものではないのです。また、見晴らしに関する周囲の地理的条件も、社会の変化に伴って自ずから変容していくことが避けられません。

例として、筆者の研究室からは隣地の公園が見え、緑豊かな景色を楽しめますが、私はその所有者ではなく、公園の改造計画(木の伐採など)に多くの口出しをすることはできません(市民および住民としていくばくかは口出しできるかもしれませんが)。また、私の視界を遮る形で建物が建設されたとしても、それに異議を唱える立場でもありません。このようして私が公園の緑を楽しむことができなくなったとしても、私は最初のうちは残念だなと思うこともあるかもしれませんが、おそらくは淡々と日々の生活を続けていくのでしょう。

以上の二点、すなわち、眺望利益は、これを楽しむ者にとって、生活に必要不可欠なものではないこと、景観を成立させている諸条件に対して直接的な支配権能を有しないという意味で状況依存性が高いことに加えて、眺望利益の保護は、周囲の土地所有権等に対する制約を必然的に伴うことをも考慮すると、眺望利益に対し、法的に強度の保護を与えることは相当ではないといえます。 そのため、眺望利益に対する侵害行為が違法とされるのは、侵害行為の態様や程度の面において社会的に容認された行為としての相当性を「著しく」欠く場合に限られると解されています。

 

メガソーラー発電 v.s. 景観保全

最近、景観問題を引き起こしている事業に、太陽光発電事業があります。 東日本大震災以降、再生可能エネルギー(再エネ)への注目はますます高まり、電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法(FIT法)で広がりました。再エネは、クリーンエネルギーとも称されており、この主力電力化も切望されています。しかし、メガソーラー発電パネルが、山の壁面に現れる様子などを見ると、あまり美しいものとはいえません。

前回(第3回)「眺望権と景観権」の違いを解説した箇所で、「「景観権」とは、自然の景観や歴史的・文化的景観を享受する権利のことを指します。眺望権が建物などの特定地点からの眺めをいうのに対し、景観権は地域の街並みや自然の風景全体について地域住民が持つ権利とされています。」と説明しました。太陽光発電施設については「眺望権」というよりは「景観権」の問題となります。

ここでは、環境権等に基づくメガソーラー設置差止請求事件(大分地判平成28年11月11日・LEX/DB文献番号25544858)をご紹介します。

高原が広がる大分県由布市湯布院町塚原での大規模太陽光発電所(メガソーラー)の建設に反対する住民や旅館経営者、および別荘所有者ら32人が、環境権、景観利益および原告らの営業権に基づき、「良好な景観が損なわれる」として、建設を計画する投資会社を相手取り、開発行為の差止めを求める訴訟を大分地裁に起こしました。

以下は、原告らの営業権に基づく本件開発行為の差止めの可否について、裁判所が判断した部分です。

裁判所は、「しかしながら、そもそも原告らは本件環境権及び本件景観利益に基づき本件開発行為の差止めを請求できないのは前記のとおりであり、これに加えて、被告らは、由布市の指導に従って本件事業計画を進めていたのであって、被告らに原告らの営業権を侵害することについて害意があることを窺わせる事情は存しないこと、及び被告らは、本件土地において本件事業計画を行うために、相当の資金と時間をかけて準備を進めてきたことを考慮すると、原告らが、塚原地区の景観を含む自然環境を活かした営業を行っていたとしても、本件開発行為が社会通念上許される自由競争の範囲を逸脱するようなものであるとか、その態様が社会的相当性を欠くものであるということはできないから、原告らの営業権を違法に侵害するものということはできず、この点に関する原告らの主張は採用できない。 従って、原告らの営業権に基づく本件開発行為の差止請求には理由がない。」と判示しました。

ここでも、「自由競争」「社会的相当性」というキーワードが出てきます。自由競争の範囲を逸脱するものであるとか、その態様が社会的相当性を欠くものでなければ、先に営業していた異業種であっても、差止めることはできないという判断がなされました。

こうした騒動のさなか、由布市は2014(平成26)年1月、地元住民らの要請を受けて、メガソーラー建設にあたって市への事前届出などを盛り込んだ新条例(いわゆるメガソーラー抑制条例)を制定しました。しかし、本件事業決定後の制定であり、本件訴訟には影響はありません。加えて、条例の内容も、罰則規定や強制力はなく、計画の事前把握や協議にとどまっています。

 

 

「街づくり」に関する景観は別待遇

景観利益が認められた事例としてよく引用される国立高層マンション訴訟は、「街づくり」という文脈での争いでした。住民は、そこにあった景観を楽しんできたというフリーライダー(ただ乗り)ではなく、不断の努力で街に美しい景観という付加価値を付けてきた存在なのです。そのため、第一審も、この点を高く評価しています。ですから、上記の由布市およびその住民も、お互いに何らかの我慢(相互の自制と努力)をしながら景観を守ってきたということの立証ができれば、勝訴の可能性が高まると考えられます。

メガソーラー抑制条例

メガソーラー抑制のために、条例や要綱などが各自治体でつくられてきています。要綱には法的拘束力がありませんので、それを事業者が任意に遵守してくれることが期待されますが、期待通りにいかないこともあります。例えば、北杜市では、「北杜市太陽光発電設備に関する指導要綱」を制定していますが、その法的拘束力のなさのため、自治体が苦心している様子が建設反対団体である<北杜市太陽光発電を考える市民ネットワーク>への回答にも表れています(下図左)。

仄聞するところでは、事業者が、要綱に基づく行政指導に対しては、「法的拘束力がないので受け入れません」と回答するケースも出てきているようです。

こうなると、建設を制限するためには、やはり法律や条例で、それも罰則のあるそれらを制定することが必要になります。他方、メガソーラー発電事業は決して違法な事業ではなく、むしろ再生可能エネルギーという公益性の高い事業であることにも注目せねばなりません。要するに、「どこで」その事業を行うかということ、つまり、ゾーニング(エリアをテーマや用途に分けて考えること)が必要なのです。それも、事業者にとっては、あらかじめ決めておいてもらわないとなりません。このエリアはメガソーラー発電が可能な地域だと思って着手し始めたら、突然あわただしくメガソーラー抑制条例(規制条例)が出来てしまった、というのでは、事業者も安定的に事業を営むことが難しくなります。

景観保全 v.s.メガソーラー発電という構図で最近問題となっている地域として、伊東市があります。ここでは、2018(平成30)年6月1日に、「伊東市美しい景観等と太陽光発電設備設置事業との調和に関する条例(平成30年伊東市条例第12号)」いわゆるメガソーラー抑制条例(規制条例)あわただしく制定され、同日に施行されました。「あわただしく」制定したのは、市としてどうしても建設を防ぎたいメガソーラー発電事業があったからです。そのあわただしさは、十分には検討されていないと思わざるをえない条例の下記のような規定内容に表れています。

条例第7条1項では、太陽光発電設備設置事業を抑制する区域(以下「抑制区域」という。)が指定できるとしています。そして、同条3項では、この抑制区域は、施行規則で指定することができるとしています。「伊東市美しい景観等と太陽光発電設備設置事業との調和に関する条例施行規則(平成30年伊東市規則第15号)」によれば、市域全域が「抑制区域」となります。

つまり、市域全域が抑制区域なのです。これでは、“美しい景観等と太陽光発電設備設置事業との調和”というよりも、メガソーラー“規制”条例と言われてもやむをえませんね。

伊東市美しい景観等と太陽光発電設備設置事業との調和に関する条例

第1条(目的)この条例は、本市の美しい景観、豊かな自然環境及び市民の安全・安心な生活環境と太陽光発電設備設置事業との調和を図るために必要な事項を定めることにより、豊かな地域社会の発展に寄与することを目的とする。

 第7条(抑制区域)市長は、次に掲げる区域のうち特に必要があると認めるものを、太陽光発電設備設置事業を抑制する区域(以下「抑制区域」という。)として指定することができる。

  ⑴ 豊かな自然環境が保たれ、地域における貴重な資源として認められる区域

  ⑵ 土砂災害その他自然災害が発生するおそれがある区域

  ⑶ 本市を象徴する魅力的な景観として良好な状態が保たれている区域

  ⑷ その他太陽光発電設備設置事業により、周辺地域に著しい影響を及ぼすおそれがある区域

2 市長は、必要があると認めるときは、抑制区域を変更することができる。

3 第1項の抑制区域は、規則で定める。

 

問題の本質

最後に、問題の本質として以下の二つを呈示します。

一つは、景観や眺望を保護する意義です。景観や眺望の保護は、生活に必要不可欠なものではないこと状況依存性が高いことに加えて、周囲の土地所有権等に対する制約を必然的に伴うという特徴を持ちます。ネットでは日々刺激的な映像が流れるあわただしい現代においては、多くの人には、景観の変化は大きな関心事ではないことでしょう。しかし、「繊細で感受性の高い人」にはそうではないと思われます。おそらく多数決をすればマジョリティ(大多数)ではないけれど、こうした人たちの意向を無視してもよいとはいえないとも思っています。

騒音や悪臭についても同じことが言えます。特定の音が苦手であるという人もいらっしゃるでしょう。臭いに敏感という人もいらっしゃるでしょう。こうした人は、マイノリティ(少数者)ですが、そうでない人の感覚に敏感な人が合わせるべきである、というのが「社会のルール」である「文化」なのだとしたら、それも情けないと思っています(ただし、必要以上に過敏という場合を除きます。)。

もう一つは、再生可能エネルギー事業の登場により、土地の有効利用というキャッチワードの下で、空き地(または価値が低いとされていた土地)の価値を市場で取り扱う(土地の価値判定を市場原理に任せる)」ようになったことです。再生可能エネルギー事業勢は、エコ(環境に良い)という公益性を身にまとい、憲法上の経済的自由権を実行することを錦の御旗として進軍しています。一方、景観保全勢は、景観権という権利性をもたず、よくて景観利益という安定性に欠けるものを楯とするに留まります。これでは、いかにも景観保全は分が悪いといえます。

加えて、この市場における投資者は、当該地域の住人というわけではありません。世界中のお金が投資先を求めています。こうなると、地域対グローバル資本という構図も浮かび上がってきます。開発か保全かというトラブルを生じさせないためにも、地域(自治体)としては、市場に委ねてはいけないとする土地や景観を守る仕組みづくりを急ぐとともに、我々住民としては、土地がもたらす景観の価値と恩恵に、投資家の経済的価値評価に対抗しうる定量的な評価を与えることができる方法を考えねばなりません。

 

参考:拙稿(2018)「判例評釈 環境権等に基づくメガソーラー設置差止請求事件(大分地判平成28年11月11日・LEX/DB文献番号25544858)」富大経済論集64(1)171 – 193頁。